1972年の作品。
デヴィッド・ボウイー(本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズ)は、1947年1月8日生まれ、2016年1月10日に逝去した、英国出身のソングライター、ミュージシャン、俳優です。
彼が音楽活動を始めたのは13歳のときで、ブロムリー・テクニカル・ハイスクール(Bromley Technical High School)在学中にサクソフォンを学び、卒業後はキング・ビーズ(The King Bees)、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジもセッション・マンとして参加したマニッシュ・ボーイズ(The Manish Boys)、デイヴィー・ジョーンズ&ザ・ロウワー・サード(Davey Jones & the Lower Third)など、数々のバンドを掛け持ち、いずれもシングル・レコードのリリースまで辿り着きましたが、一般的には無視され成功には程遠く、米国出身のモンキーズのデイヴィ・ジョーンズが世界的スターになったとき、彼は混同されるのを嫌い、1966年からデヴィッド・ボウイーと名乗るようになりました。
ちなみにその名前の由来となったのは、19世紀の米国の開拓者ジェームズ・ボウイ(James Bowie)および同じく米国開拓時代に鋭い切れ味で有名になったボウイナイフ(Bowie knife)あるとされています。
そして1967年に彼はデラム・レコードと新たな契約をし、同時にポップ・ロック・バンドのライオット・スクワッド(The Riot Squad)も参加しながら、ソロ・デビューのチャンスを伺うこととなります。
そして同年4月にソロ・デビュー・シングル『Taughing Gnome』を、6月にはデビュー・アルバム『デヴィッド・ボウイ』をリリースしますが、どちらも不発に終わり、9月には『Let Me Sleep Beside You』『Karma Man』をレコーディングしますが、どちらもレコード会社から却下されてします。
しかしこの2曲は、ボウイーとプロデューサーのトニー・ヴィスコンティの初めての出会いであり、暫しの空白はあったものの、その後のボウイーの活動に大きな役割を果たす関係が出来上がりました。
その後ボウイは、リンゼイ・ケンプが主宰するパントマイム劇団で学び、1969年には自身のパントマイム・カンパニー『フェザーズ(the Feathers)』を結成し、その後も実験的アート・パフォーマンス・グループ、ベッケナム・アーツ・ラボ(Beckenham Arts Lab)を結成するも、アーツ・ラボの運営資金が必要だったため、同年マーキュリー・レコードと契約し、アルバム『Man of Words, Man of Music』を発表します。
この作品こそが最終的に『スペイス・オディティ』と改名することになるボウイーのセカンド・アルバムで、全英17位、全米16位となるヒットとなり、彼のミュージシャンとしての道が拓きました。
そして旧友のマーク・ボランと意気投合した彼は、ボランのバンド、T・レックスのコンサートでパントマイムを始め、やがてボラン、ベーシストでプロデューサーのトニー・ヴィスコンティ、ギタリストのミック・ロンソン、ドラマーのケンブリッジ・アズ・ハイプらとライヴ・ツアーも行い、ここにボウイとヴィスコンティとの再会、そして以後ボウイーのバック・バンドとして辣腕を振るうロンソンとの親交が生まれ、彼はサード・アルバム『世界を売った男』のレコーディングに取り掛かり、ヴィスコンティのプロデュース、ロンソンのギター、マイケル・ウッドマンジーのドラムスという具合にメンバーが固定し、1971年に発表されました。
そして同年後半に、ベーシストにトレバー・ボルダーを迎えてアルバム『ハンキー・ドリー』を発表し、いよいよバンドの根幹が出来上がります。
そして満を持して発表された1972年のアルバム『ジギー・スターダスト』が今作になります。
「ハンキー・ドリー』のリリース後、ボウイーはロックンロール・スターとしての絶対的なポップ・アイコンであり、自身にとって最も有名な変身したキャラクターとなる"ジギー・スターダスト(別の惑星から来た両性具有的でバイセクシュアルのロック・スター)"を発想し、そのコンセプトを具体化しようと試みました。
まず彼は1972年1月のメロディ・メーカー誌のインタビューで、自分はゲイであると主張し、センセーションを巻き起こすと共に、次作アルバの関心を呼ぶ戦略を取ります。
そしてマーク・ボランの化粧をしたスタイリッシュなグラム・ロックからヒントを得て、自分の髪をオレンジ色に染め、女性用の服を着て、自らをジギー・スターダストと名乗り、バックバンドはロンソン、ウッドマンジー、ボルダーで、スパイダース・フロム・マーズと名乗るようにしたのです。
そのような戦略の下、発表された今作は正式タイトルが『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(ジギー・スターダスト&スパイダース・フロム・マーズの栄枯盛衰)』とされ、1972年末に発表されて以来、アルバムが奏でるコンセプショナルなストーリーと、その豪華でシアトリカルなステージングは世界的にセンセーションを巻き起こすことになりました。
それは全英5位(プラチナ・ディスク獲得)、全米75位(ゴールド・ディスク獲得)という商業的成功以上に衝撃的なものでした。
ボウイーは、マーク・ボランのグラム・ロックのようなロックンロールのシンプルなパワーと、スタンリー・キューブリック監督の映画『時計じかけのオレンジ』のような混沌とした未来像を想起させながら、ジギー・スターダストというエイリアンがロック・スターに上り詰めて輝く幸福感や、人気の絶頂においてスーパー・スターのまま死んでしまう喪失感を醸し出すことによって、我々リスナーも含めたポップ・ミュージックにおける共同幻想を、肯定と否定の狭間で表現しています。
そして個々の楽曲においても『魂の愛』『スターマン』『君の意志のままに』『サフラジェット・シティ』……もはやロックのスタンダードとして、未だにあらゆるバンドがカバーするほどのクオリティがあり、それらの楽曲が脚光を浴びるたびに、ジギーが啓示したポップ・ミュージックにおける共同幻想が強固になっていくというのも、皮肉な痛快さがあります。
ロックの歴史において、絶対に外すことの出来ない作品です。
国内盤なので、ライナーノーツ・英詞は付属しています。
帯はありません。
レコードの保管については、専用ラックに立ててきましたが、経年により少しだけ反りがあります。鑑賞には問題ありません。
同じく経年により、白い紙の部分に色褪せが少しだけあります。
それ以外は美品です。