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*** 商品詳細 ***
『ジョセフイン・ベーカー公演』
Josephine Baker
見返しに・Josephine Baker直筆ペンサイン&メッセージ有り
※・日本人:知人にメッセージ有り【マサハシ】?正橋・政橋・??・・・
☆『ジョセフイン・ぺーカー公演』
4月25日~29日・東京都・帝国劇場
・編者:エリザベス・サンダーホーム?・写真図版多数
・1954年4月・12頁・\:非売品・約:A4判
・本の状態:表紙経年の汚れ傷み有り・本文は普通??
・発行:エリザベス・サンダーホーム・後援:毎日新聞社
☆・ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker、
フランス語読みで「ジョゼフィーヌ・バケル」とも呼ばれる。
生まれたときの名前は、フリーダ・ジョセフィン・マクドナルド(Freda Josephine McDonald)。
アフリカ系アメリカ人の洗濯婦のキャリー・マクドナルド(Carrie McDonald)との間の私生児として、
ミズーリ州セイントルイスで生まれた。
彼女は、非常に貧しい環境の中で育つ。1917年7月2日、彼女はセイントルイスで人種差別を経験して、
これが彼女が後に人種差別撤廃運動に熱心に肩入れする背景となる。13歳で、母親によってかなり年配の黒人男性と
結婚させられるが、数週間しか結婚生活は続かなかった。そのあと家出。
1921年、彼女は鉄道車掌の黒人ウィリー・ベイカー(Willie Baker)と結婚し、1925年に離婚するが、
この苗字を彼女はその後もしばらくの間使用している。
レビューに出演していた頃の写真(1927年)彼女のキャリアは、16歳でフィラデルフィアのスタンダード劇場でのデビューから始まる。その後すぐニューヨークに行き、ちょうど半年間アメリカを巡業していたボードビル・グループに参加。1923年-1924年、ニューヨークのでミュージカルコメディ「シャッフル・アロング(Shuffle Along)」でコーラスガールの役を得た後、黒人のレビューグループ、チョコレート・ダンディーズ(The Cholocate Dandies)のメンバーとなる。ニューヨークのプランテーション・クラブに出演した後、1925年10月2日、パリのシャンゼリゼ劇場に出ていた「レビュー・ネグロ(黒人レビュー)」に加わることになる。
このダンスで彼女は、初めてチャールストンを目の当たりにしたパリの観客をたちまち虜にしてしまう。舞踏ジャーナリストのアンドレ・ルヴァンソン(Andr Levinson)は、「ジョセフィンは、不恰好な黒人のダンサーだと思ったらとんでもない間違いで、彼女こそ詩人ボードレールが夢に見た褐色の女神」と熱狂して賛辞を送り[1]、アーネスト・ヘミングウェイは「これまで見たことのある最もセンセイショナルな女性」と称えた[2]。
レビュー・ネグロは、さらにブリュッセル、ベルリンでも公演を行い、ドイツではベルリンのクァフュルステンダムのネルソン劇場で1926年1月14日にドイツでの初演を行っている。1926年から1927年、彼女はまさにフォリー・ベルジェール劇場のスターだった。彼女はルイ・ケーナシャンの2つのレビューに出演、バナナを腰の周りにぶら下げただけという有名な衣装で踊った。
1926年の末にベイカーは、それまでベイカーのショーの美術を手伝っていたシチリアの石工ジュゼッペ・ペピート・アバティーノ(Giuseppe Pepito Abatino)と結婚して、世間の話題を一身に集める。アバティーノは「ディ・アルベルティーニ」と自称していたが、ベイカーの恋人兼マネージャーの役についていた。ジョゼフィン・ベーカー改め「ジョゼフィーヌ・ディ・アルベルティーニ」となったベイカーは、最初にヨーロッパの貴族としての名を持ったアフリカ系アメリカ人女性ということになった。
当時ベイカーは、ラングストン・ヒューズやパブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイなど同時代の作家、画家、彫刻家にとっての美の女神、大衆にとってのセックス・シンボルとなった。想像を超えたエロティックな衣装と踊りのために、ベイカーはウィーン、プラハ、ブダペスト、そしてミュンヘンの劇場で出演を禁止されてしまう。それほどまでにベイカーはセンセイショナルな存在になったのである。
東ヨーロッパと南アメリカ公演旅行の後、ベイカーは今度は歌手としてもデビューを果たす。「二つの愛」(J'ai deux amoures)、「ハイチ」(Haiti)、「かわいいトンキン娘」(La Petite Tonkinoise)、「かわいいベイビー」(Pretty Little Baby)は、彼女の最も成功した歌である。彼女は映画にも出演し、「南海の女王」(La Sirne des Tropiques、1927年)、「はだかの女王」(Zouzou、1934年)、 そして「タムタム姫」(Princesse Tam-Tam、1935年)で主演をしている。
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◎・篠路:S72656.2022.8.14