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怒る富士 上下
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新田次郎 (著)
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文春文庫1980年初版
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天に氏名印あり
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宝永4(1707)年、突然大爆発を起こした富士山は、16日間にわたり砂を降らせ続け、山麓農村に甚大な被害をもたらした。ときの関東郡代・伊奈半左衛門忠順は、農民の窮状を救うべく幕府に援助を強く要請した。だが、彼が見たものは被災農民を道具にした醜い政権争いだった――。大自然の恐怖を背景に描く、著者会心の長篇時代小説。
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富士山噴火によって被害を受けた農民を救うべく奮闘する、関東郡代・伊奈忠順。だが幕府内の政争の前に、彼の努力もむなしく、農民たちは次々に飢えていく。ついに忠順は決心する。たとえこの身がどうなろうと、幕府米五千俵を秘かに農民に与えよう――。農民救済に命をかけた代官の生涯を壮大なスケールで描く!
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アマゾンの書評より
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5つ星のうち5.0 災害と行政、今も繰り返される問題
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大震災、火山噴火、集中豪雨の被害を身近に体験している今、この本を読むと全く昔の話とは思えない。
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原発事故でうち捨てられた地域と人々のことを例に挙げたレビューもあったが、遡ればアジア太平洋戦争末期の大空襲や原爆による被災や満州に放置された残留孤児のことを想起してもよい。
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被災者に対して国や地方行政の取る態度は、為政者や行政担当者が被災者の救済を第一に考えるか、国や行政の運営や予算、あるいは自己の出世や保身を第一に考えるかで全く異なってくる。
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この本は宝永の富士山大噴火が周辺地域にもたらした巨大な降灰被害と江戸幕府の対応を、膨大な資料と調査を踏まえて明らかにした労作であり、幕府内の派閥争いのために「亡所」とされた被災地の村々の悲惨な運命を余すところなく描いている。
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しかし、その中でも被災地救済のために私財と命を賭けて闘った代官がいたことが共感と感動をもって描かれており、時代劇の悪代官のステレオタイプを払拭するものとなっている。
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また、「忠臣蔵」のドラマでは浅野内匠頭切腹の陰の悪役のイメージの柳沢吉保が、この著作では良識ある幕府官僚として好意的に描かれており、歴史上の人物の評価の多面性が興味深い。
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5つ星のうち5.0 ゾッとするこわさ
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富士山の噴火、これはこれから先も避けられない危機です。
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ただ、想像してみても「うわー大変だろうなー」という漠然とした想像しかできない方が大多数ではないでしょうか。
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この本を読むと、富士山噴火がどれほどの事態を引き起こし、直面した人々が見ることになる絶望というものが色鮮やかに想像できるようになるでしょう。
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史実に基づいた、リアルホラーという感想を持ちました。
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新田義貞(上下)
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(新潮文庫)
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新田次郎 (著)
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ともに源氏の嫡流でありながら、かたや足利氏の女(むすめ)を室(しつ)としてむかえる園田庄と、無位無冠の新田庄とは、上野国で代々、水争いを続けていた。元弘2年(1322年)新田家8代の小太郎義貞は、京都大番役の役目をはたして帰郷の折、鎌倉に立ち寄り足利氏の面々を訪れる。足利尊氏や楠正成の陰に隠れながら、源氏再興の夢を賭けた悲運の武将の生涯を活写する。山岳小説の名手が書き上げた傑作時代小説(全2冊)。
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楠正成の義挙に応じ倒幕の旗を掲げるべく令旨をうけた新田義貞は、鎌倉幕府の6万貫の軍事費を5日以内に工面せよとの命に態度を決める。稲村ヶ崎の海岸を干潮を利用して鎌倉幕府に攻めのぼり亡ぼし去る……。しかしながら、足利方にはかなわず、北陸の地に散って行く。中世武士道の典型ともいえる正直で、武骨で、純粋な坂東武者の壮大な生きざまを描く歴史巨編。
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新田 次郎
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(1912-1980)1912(明治45)年、長野県上諏訪生れ。無線電信講習所を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。
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アマゾンの書評より
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5つ星のうち4.0 新田義貞を主人公とする貴重な小説
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2007年1月11日に日本でレビュー済み
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新田義貞という名を頭に描くとき、誰もが判然としない微妙な印象を感じるのではないだろうか。
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皇民教育の時代においては、天皇方の忠臣としてお札に登場する程の人物だったが、戦後に入り評価は変わった。
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鎌倉討入りまでは良かったものの、その後は何度も天下取りの好機に恵まれつつ生かせず、最期はあまりに呆気なく歴史の舞台を去ってしまう。覇権を握るには力の足りなかった二流の武将というのが、現在の一般的な印象だろう。
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また、名将として名高い楠正成を敗北に追い込んだ大将と言われることもあり、人気の面でも微妙なところである。
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が、太平記にしても忠臣として持ち上げられる義貞にしても、多くは後世の脚色であり、歴史として正しく検証された義貞の人間像は、現在に至るまで殆どないというのが実際である。
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こういう人物であるから、知名度の割に彼を題材とした小説は多くないが、新田次郎氏は敢然とこれに取り組んだ。
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義貞に関する信憑性の高い資料は非常に少なく、この小説でも鎌倉入り以前についてはほぼ創作である。
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非常に特徴的なのは、各章の終わりに著者の新田氏が顔を出し、その創作について説明しているところである、人によっては興醒めかとも思うが、なんとか「人間・義貞」を描きたいという新田氏の配慮だと評価しておきたい。
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教科書にも必ずある名前でありながら、その足跡がハッキリせず曖昧な気持ちでいた人には、この作品をオススメしたい。
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鎌倉攻め以降は、軍記物をタネ本にしつつも数字の誇張などを抑え、現代小説としての体裁を整えた上で義貞の足跡を追っている。
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5つ星のうち5.0 上下巻を3日かけて読了
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新田次郎さんの小説は、昔読んだことがありましたが、歴史小説は初めてでした。漫画で「新田義貞」を読みましたが、小説はどうなんだろうと読み始めたところ、引き摺り込まれました。悲運ながら、統率力、戦術・戦略、愚直で素晴らしい人間性を持った新田義貞という人の物語に。各章の終わりの取材ノートのようなもの(註釈、筆者が足を運んで感じた事)も史実、創作意図が記述されていて大変参考になると思いました。
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5つ星のうち5.0 関東源氏武士に興味がありました。
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新田次郎はやはり文豪ですね。面白かったです。特に現在の当地を旅したショートエッセイが節目ごとに織り込まれていて興味深かったです。
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5つ星のうち4.0 義貞の人間性に惚れ込んで書いた小説です
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本書は、1976年9月から産経新聞に連載された小説です。
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著者は、義貞が凡庸な武将だと片付けられる傾向に不満を覚え、義貞の人間性に惚れ込み、義貞の正当な姿を書き残しておきたくて執筆したそうです。
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下巻は、赤松則祐が新田庄に護良親王の令旨を届けるシーンから始まり、灯明寺畷で討たれるところで終わります。
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著者が義貞に惚れ込んだことが本書を通じて十分に分かり、本書で描かれた義貞が実像であって欲しいと感じました。
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自己保身しか考えない公卿によって、義貞と正成が滅んだとの考えは興味深いものでした。
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本書は、著者の思い入れが強すぎるかも知れませんが、鎌倉幕府の滅亡から南北朝に興味のある方にお勧めします。
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5つ星のうち5.0 文章は好み
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全2冊ですが前巻は話があまりすすまないので、新田マニアでなければさらっと流すか、後巻から読んでもいいと思います
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挙兵するのも後巻の中盤ですので淡々としていて公平な視点でよいです
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ただし新田義貞に関しては源氏嫡流などやたら大仰なあつかいですが時代的には同時代の北畠親房も新田なんて家は聞かんな?ぐらいに流していてそこまで名門というわけではないとおもいます
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確かに新田義重は源氏の長老的存在で北条政子が遠慮しており、新田どのが亡くなったのにお前は蹴鞠をするとはなにごと!とむすこの将軍を叱ったエピソードはありますが・・
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というか頼朝が源氏嫡流を際立たせるため弟ですら、分家の小者、けらいとして扱っていたので義重も頼朝の不興をかい無位無官がずっとつづき新田義貞の頃は本家とはいえ領地も分割されて新田数十郷のうち1郷ていどにおちぶれていました
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新田義貞は鎌倉をおとしたあと軍事行動はいまいち不明瞭、足利視点では?ともされるのですが、そのへんはうまく1人の人間としてやたら持ち上げることもなく、たんたんと冷静にさいごまで書いてます
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何度も読み返したい本です
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