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イギー・ポップは、1947年4月21日生まれ、米国出身のミュージシャンです。
本作は彼の7枚目のスタジオ・アルバムで、前作から4年のブランクがあったにも関わらず、全米75位、全英43位となり、アルバムのプロモーション・ツアーも盛況となるなど、彼のキャリアのなかで商業的に最も成功した作品となりました。
その要因となったのが、これまでもイギーの手助けをしてきたデヴィッド・ボウイがプロデュースなど主要なコラボレーターを務めたことでした。
振り返れば、"ジェイムズ・ニューウェル・オスターバーグ"という人間がイギー・ポップと名乗るようになり、ストゥージズというバンドを率いて、ステージ上で憑りつかれたように叫び、観客を挑発して客席に飛び込み、身体中から流血しながら歌うという凄まじいパフォーマンスを繰り広げ、1968年からの2年間でエレクトラ・レコードからアルバムを2枚発表しながらも、全く売れず1971年に契約解除となり、バンドにはメンバー間の対立とドラッグ中毒が蔓延していた時代がありました。
そこに現れたのが、当時既にスーパースターであり、イギーを気に行っていたデヴィッド・ボウイだったのです。
そしてボウイは、イギーとバンドにドラッグと手を切ってキャリアを再開するよう説得し、コロンビア・レコードとの契約に助力し、イギーもそれに応えて完成したのが、イギーとボウイの共同プロデュースによる『ロー・パワー』(1973年)でした。
それ以来、ボウイはイギーの才能を見捨てず、自身のツアーのサポート・メンバーととしてイギーをツアーの同行させたり、1977年のイギーのソロ・アルバム『イディオット』と『ラスト・フォー・ライフ』をプロデュースしています。
そして今回、ボウイは1983年のアルバム『レッツ・ダンス』と1984年のアルバム『トゥナイト』でイギーの曲を大々的にカバーしたため、イギーには多額の印税が入り、彼はいつものドラッグ中毒から抜け出し、新たな創作意欲が刺激されることになったのです。
そして再びボウイをプロデューサーに迎えた今作の内容は、これまでになく洗練されたエレクトロニック・ポップの香りを感じさせながら、イギーのボーカルからも落ち着きと深みが伝わるものになりました。
楽曲も、オーストラリアのロカビリー・シンガーのジョニー・オキーフ(Johnny O'Keefe)の1958年のヒット曲のカバー『Real Wild Child (Wild One)』、元セックス・ピストルズのギタリストのスティーヴ・ジョーンズとの共作による『Fire Girl』『Cry for Love』『Winners & Losers』以外は、ボウイがイギーと共作したもので、当時ボウイが1980年代に入ってからナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、ダンス・ミュージックでヒット・チャートを制覇したように、今作ではボウイがイギーの商業的成功を願い、彼のキャリアの立て直しを図ろうとした様子が窺えます。
そしてその試みは成功し、今作が2人の最後のコラボレーションとなり、以後の作品ではイギーはワイルドなロックンロールに回帰することができたのです。
米国輸入盤のため、英詞の記載があるのみで、日本語関係の資料はありません。
経年により、シミと汚れがほんの少しだけありますが、それ以外は美品です。